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疫病退散!日本古来の疫病封じ・・角大師・アマビエ・護符・陰陽師

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日本でも、昔から疫病は定期的に発生していたようです。

疫病封じの言い伝えを調べてみました。

疫病にまつわる神仏や妖怪

昔の日本人は疫病が流行ったとき、どういうふうに乗り越えてきたのでしょうか?

角大師(つのだいし)

疫病神が角大師にとりついたとき、
その疫病神の姿を鏡に写し、
その姿を弟子に描き写させて、お札にしたものが疫病よけのお札になった。

角大師は、昔の天台宗のお坊さんで、慈恵大師(十八代目の天台座主であり、正月三日に亡くなったので、元三大師ともいいます)が
七十三才の時に、世の厄災をうれいてあらわされた護符です。

世に疫病が流行っていた永観2年(994)のある時ことです。疫病神が慈恵大師様にも襲ってきました。
「私は疫病神である。今天下に流行している疫病にあなたも罹らなければならないのでお体を侵しに参りました」
お大師様は「逃れられない因縁ならばいたしかたない。この指につけよ」と左の小指を差し出しました。

疫病神がお大師様の指に触れると、全身に激痛が走り、高熱を発せられました。しかしお大師様は精神を統一され、
弾指し、法力をもって疫病神を退散させたのでした。

疫病の苦痛を体験されたお大師様は、「疫病をもたらす魔物の力はあなどりがたい。
わずか一指でさえ、これだけの苦痛をもたらす。疫病に苦しむ人々を一日も早く救わなければならない」と発心され、
弟子に全身大の鏡を持ってくるように命じました。
そして、鏡の前で静かに観念三昧に入られました。

すると不思議なことに、鏡の様子は、はじめお大師様の姿であったのですが、だんだんと姿が変わり、
最後には骨ばかりの恐ろしい鬼の姿になりました。

降魔となったお大師様の姿を弟子が描き写し、その絵を版木に彫りおこし、お札を刷って、お大師様自らが開眼の加持をされました。

「この札を人々に配布して戸口に貼り付けるようにすれば、邪魔は近づかず、疫病はもとより一切の厄災から逃れられるであろう」と弟子たちに示されました。
このお札頂いて、家の戸口に貼るとその家の者は誰も疫病にはかからず、また病気であった人も全快したと言います。

これ以来、元三大師ゆかりの寺院では、このお札を「角大師(つのだいし)」と称して、毎年の新年に新しいお札を玄関や家の戸口に貼ることで、
病気はもとよりあらゆる厄災から逃れられる護符として人々に頒けられています。

出典 角大師って?

 

 

アマビエ

 

「もし疫病が流行ったら私の姿を描き写して人々に見せよ」

アマビエについては、『妖怪事典』(村上健司・著)によると弘化3年(1846年)4月中旬と記された「瓦版」に記されている。

その瓦版は現在、京都大学附属図書館に所蔵されており、それによると江戸時代後期の肥後国(現在の熊本県)で「毎夜のように海中に光る物体が出没していたため、役人が赴いたところそれ(アマビエ)が姿を現した」とのこと。

その“光る物体”ことアマビエは、「当年より六年間は諸国で豊作が続くが疫病も流行する」と予言し、「もし疫病が流行ったら私の姿を描き写して人々に見せよ」といって再び海の中へと帰っていったそうだ。

 

全国のお菓子屋さんで

続々アマビエのお菓子が販売されているようですよ。

「人に見せよ」という言い伝えですが

「人に食べさせよ」と言い伝えはないようですが

食べたら、効力も消えてしまうのでは?という素朴な疑問です。

 

護符の力で疫病退散

護符の力で疫病退散 外出自粛に対応、希望者へ郵送
岐阜県美濃市大矢田の大矢田神社は「疫病退散」にご利益があるとされる護符の授与を始めた。
外出自粛に対応して当面の間、希望者に郵送で届ける。宮司代務者の眞清辰也さん(67)=同所=は「神様と皆さんの力を合わせ、この困難を乗り越えたい」と願う。

同神社は、平安時代に都で流行した疫病を鎮めるため八坂神社(京都市)が牛頭天王(ごずてんのう)を祭ったことを機に全国に広まった祇園信仰の流れをくみ、疫病退散に御利益があると伝わる。

 

 

陰陽師の祓いと呪符

陰陽師は、映画やアニメにもなっています。呪文を唱えながら呪符を使って悪霊退治をする場面はかっこいいですね。

昔は陰陽師は政府の役職で、
呪符を使って悪霊退治や、疫病退散の仕事をしてきたそうですよ。

木の板か紙に呪符を書いて

玄関に外を向けて掲げると効果があるとのことですよ。