トップページ > 代表の体験談/次男の妊娠・出産・薬害アレルギー
次男の妊娠・出産・薬害アレルギー
夫婦で体質改善、妊娠
長男が、生まれてすぐにアトピーになったのでステロイド剤を使用しない解毒治療法を10ヶ月間おこないました。
最終的には体質改善の為、中国・長安で、診察をしてもらいました。
その時、先生から
「夫婦が体質改善を行なってから次の子供を生まないと、またア
トピーの子供が生まれる確率が高い」
と、言われたのでそれぞれの体質にあわせた漢方薬を飲み始めました。
その後、
「二人の体質に問題はないですよ」
と、言われた3年後に次男を妊娠しました。
妊娠5ヶ月から10ヶ月まで
妊娠5ヶ月に入った頃のことです。
産婦人科で、私の子宮に問題があると言われました。
「薬を飲まなければ普通分娩での出産が難しいかもわからな
い」
と、言われました。
「また薬を飲むの?」
「お腹の子供に影響はないの?」
ようやく、安定期にはいったというのに不安でいっぱいでした。
しかし、飲まない選択はできないので言われる通りに飲みはじめ、8ヶ月検診のときです。
「悪かった子宮が治っているねぇ。薬をやめて様子をみようか」
と、言われ薬がカットになりました。
結果、10ヶ月検診のときには、薬をやめても調子が良いので、
「普通分娩で、何時生まれても大丈夫」
と、言われ安心しました。
出産
それから、予定日を一週間過ぎた日の朝、おしるしがあったので病院に行きました。
ところが診察してもらったら
「まだまだ、早くて夜中から明日以降だね」
と、言われたので、病院の近くに長男を連れて行って、暫く遊んでいたんですよ。
そしたら、少しだけ痛いなって…感じたその途端、急に、段々・段々・段々、激しい痛みが押し寄せてきたんですよ。
「今日は生まれない」
って、言われて本当に少しの時間だったんですよ。
このままだと、この場で生まれるって思ったので、すぐに病院へ引き帰したんです。
「先生、痛みが急に・・・」
「今日は生まれないって言ったでしょう…まぁ。もう1度診察しよ
うか?」
「ちょっと待って、ちょっと、このまま、待って、すぐに生ましてあげ
るから力いれたらだめよ」
「そんな事を言われても・・・ 力抜くってどうだったかなぁ?」
と、考えてる間に生んだと言ってもいいほどの速さで出産したんですが、私の妊娠中は、長男・次男ともに悩みの日々。
出産は、長男・次男ともに慌てた超スピード安産でしたね。
どうして?
次男を驚く速さで無事出産してから二日目の朝。
先生が慌ただしく病室に入ってこられ
「これから大きい病院に移すから支度しなさい」
と、いきなり言われました。
何がなんだかわからないまま、先生と一緒に病院に行く事になりました。
そこで言われたのが、
「黄疸の数値が高すぎる」
「通常の数値の倍以上高い」
「このままだと脳に障害がでるから、とにかく光線療法をはじめ
ます」
「2、3日しても落ち着かなかったら交換輸血をしますので覚悟
をしておいて下さい」
と、説明をされました。
「交換輸血って?人の血をいれるの?」
「他に方法はないの?」
「覚悟をして下さい」
と、言われても簡単に返事が返せる問題ではなかったですね。
元気に生まれてきたのにこんなことが待ってるなんて…
この時はこの気持ちだけで、何も考えられなかったですね。
息子は、保育器の中で目にはアイマスク。
身体には機械。
そのままの状態で、光線療法が始まりました。
私は、産婦人科へ戻るのですが、周りの産後のお母さんの部屋からは、当然元気な赤ちゃんの鳴き声が聞こえてきます。
このとき程、辛かったことはなかったですね。
息子に会いに病院に行けば、服を着替えて、帽子を被り、消毒をしてからでないと入室できないのです。
それだけ準備を整えても、ガラス越しにしか息子をみることができなくて…
私の目の前にいるのに、こんな形でしか会うことができない息子がとても遠くに感じましたね。
無事でよかった
それから、4日目の朝のこと。
「黄疸の数値が、光線療法だけで下がったよ」
「あれだけ高かったのにだよ」
「普通は、徐々に高くなって徐々に低くなるもんなんだけど…」
「この子はいっきに高くなって、そのままいっきに低くなったねぇ」
「病院では、今日にでも交換輸血を考えてたんだけどねぇ」
「とにかく交換輸血はやめて、このまま光線療法だけで
黄疸が落ち着くのを待とう」
と、言う事になりました。
先生からは、
「分からないねぇ。いくら考えても分からない」
「これを、神業と言うんだろうねぇ」
と、何度も言われた事を、今でもはっきりと憶えてますね。
この快復力の凄さには、さすがに驚きましたが、それ以上に感謝の気持ちでいっぱいでした。
7日目には、無事に退院する事ができましたが、生まれてから
同じ部屋にもなれなかったので、ゆっくりと顔を見たのが退院の日でした。
産後の息子の容態の方に気がいってたので、私の一番気になっていた、アトピーの事を、すっかり忘れていました。
次男をさわって初めて知ったこと。
赤ちゃんの肌ってぽっちゃりとしてて、こんなに柔らかだったんだって。
生後2ヶ月、幼稚園の頃
生後2ヶ月目に入った頃に、39度の熱がでました。
寒い時期だったので、風邪と診断されたんですが、1日経っても、2日経っても39度から下がる事がなく日に日に、熱が高くなりだしたのでもう一度病院に連れて行きレントゲンを撮ってもらいました。
「肺炎をおこしかけている」
と、言われました。
すぐに、病院を移され血液検査をされたら
「血液中で炎症がおきてます。炎症の数値が高すぎる」
と言われ、急いで点滴をされました。
数値が下がるまでの間、検査入院する事になりました。
点滴をしたことで、炎症が落ち着き元気になるのですが、この時から風邪をひいたり、疲れがでると、扁桃腺がはれて、39度の高熱が何日も続くようになりました。
その度に、点滴で炎症を抑え、抗生物質を飲みました。
息子は、生まれた時から私や長男の体質とは全く違って、綺麗な肌をしていましたので、
「体の中に薬を入れ続けて大丈夫なんだろうか? 」
と、言うような心配はなく、それよりも1週間以上高熱が続けば脳に影響すると聞いていたので何とか早く薬が効いて熱が下がる事だけを願っていました。
幼稚園に入園してからも、それは変わらず、事あるごとに高熱をだし、点滴に抗生物質を服用します。
この繰り返しでしたがこの時は、いくら薬を飲んでも痒みがでたり、湿疹がでることは1度もありませんでした。
アレルギー体質でもなかったので、食べる事にも特に気をつける物はなかったですね。
小学校入学と同時に異変が…
小学校に入学して、2ヶ月ぐらい経ったころでしょうか?
また、高熱がでたので、いつも通り病院に行きました。
この頃には、抵抗力もでてきたのか、点滴をする必要はなくなり、飲み薬だけで、熱が下がるようになりました。
熱が、下がったこの後から、足の関節部分を掻いている息子が目につくようになりました。今まで痒がるということは、なかったのに身体にも湿疹ができたのです。
今まで息子は、肌が強い方だったので、日にちがきたら落ち着くものだと、思っていたのですが、気が付いた時には背中からおしりにかけて湿疹が沢山できていました。
掻き毟り、汁がでているなんて…
考えられないほどまでに、悪化していました。
それでも、まだ長男とは体質が違うからそのままにしておいても、日にちがきたら自然と落ち着くだろうって、安易な考えでいました。
しかし、この考えが間違っていたと、気づくまでには、それ程の時間はかからなかったのです。
ストレス? アレルギー?
日に日に、肌着や下着が肌にぴったりとくっつき
「痒い・掻いて・もっと掻いて」
「痛い・服がくっつく・痛いよー」
今まで、次男の口から出た事のない言葉で辛かったですね。
この頃から、おかしいなと思い始めたので私と長男がお世話になった先生に診て貰いに行く事にしました。
先生に診てもらい、
「どうして急にこんなになるのですか?」
と、尋ねました。
「何か、思い当たる事はない?」
と、聞かれた時に私の心の中にずっと引っかかっていた事を話しました。
産後すぐに、黄疸がひどくて、光線療法をした事。
生後2ヶ月ぐらいから、扁桃腺が腫れるたびに高熱が続くので、熱を下げる為にステロイド剤入りの点滴をして、抗生物質を飲んでいた事などを言いました。
「小学生の低学年で湿疹が急にでたんなら、人間関係で、疲れ
がでたり、環境の変化によっても出る事があるから、ストレス性
湿疹、薬害アレルギー両方考えられるね」
と、言われました。
言われてみれば、息子は近所の幼稚園に行かなかったので小学生になって友達ができるかどうかを不安がっていましたが、長男がいるので、それ程私自身は気にしていなかったのです。
でも、本人にとっては、環境の変化に戸惑いがあったのかも知れません。
知らず知らずに身体の中に蓄積されたものがこんな形ででてくるなんて思いもよらなかったです。
戻りかけた肌が…
2ヶ月ぐらいで痒みも治まり、出ていた汁もかれて来たので、治療には通わずに家で様子をみることになり、日に日に肌の調子も良くなりました。
2年生の頃には普通の肌に戻り安心していました。
また、3年生になった頃に高熱がでたので、病院へ連れて行きました。この頃の肌は、落ち着いていたので、熱を下げるために薬を飲ませました。
ところが、熱が下がったと同時にまた身体に湿疹がではじめました。
今までは、薬を飲んですぐに反応が出たことはなく、それが溜まっていたから突然湿疹がでたのでしょうが、解毒治療をしてからは、同じ薬を飲んだのにも関わらず身体の方が反応をすぐに起こしてしまったんでしょうね。
でも、溜まって後から苦しむよりは、すぐに反応が出るほうがいいと思いこの日から、また痒みと戦う日がきたのです。
確かに薬の処方箋にも、発疹などの過敏症状が出る事もある。と、書いてありました。
今まで飲んですぐに湿疹はでませんでしたが、この時は熱が下がったと同時に湿疹がではじめたので中国医学の先生に、教えて貰った通りのスキンケアをすぐにしたので、肌の調子も多少落ち着きをみせました。
この時期学校で、プールが始まりましたが、塩素が入っている
プールに入ると、傷口がヒリヒリ・チクチクして、プールから出た後には、傷口が悪化するので泳がせる事はできなかったですね。
湿疹を悪化させない為に、海に連れて行って海水療法をしていました。海水も、長男がアトピーの時には、入った事により悪化してしまったのですが、次男の場合は、アトピーではなかったので
海水に入った後の肌は調子がよかったですね。
この後も、疲れがでると扁桃腺が腫れて高熱はでました。
しかし、この頃からは、抵抗力がついてきていたので、熱がでても食事もするし、水分もしっかり取れるので、病院に行かずに休養をとり、しっかり汗をかかせ水分をとる・着替えをさせる。これを繰り返す事で、続いていた熱も下がるようになりました。
くじけないで
解毒療法で、落ち着いた肌でしたが治療後にも薬を何度も飲んだので3年生の秋口からは、さらに湿疹がひどくなり始めたのです。
背中・おしり・手・足の関節部分に出始め、肌の柔らかいおしりは掻き毟る為、汁がでて、痒みもおさまらなくなりました。昼間は学校に行っているので、気が紛れているみたいですが、夜中には、
1時間おきにポリポリ・ポリポリ無意識の中で掻きはじめ、ポリポリが次第にボリボリ・ボリボリとひどくなり、掻くというより肌を毟りだすかんじになります。
その度に、手を押さえて本人には、掻かさないようにするのが
一苦労なんです。
この頃には、息子も
「何であんなに綺麗な肌だったのにこんな肌になったんだろう」
と、疑問を持ち始め
「もう、嫌だ」
と、腹をたてるようになりました。
息子の気持ちは、痛いほど良く分かりますが、
どんな病気も自分が
「必ず治す・治るんだ」
と、信じて強い意志をもたないと自己治癒力はでないし、治すことはできないと思っていましたので、息子に、
「綺麗な元の肌に戻る努力を一緒にしていこう」
と、を話した日からは、気持ちが穏やかになりましたね。
親だから、
「むりしなくて、いいよ」
と、言ってあげられたらどんなにいいかとも思いました。
でも、本当に治すと言うことは、生半可な気持ちではできないことですからね。
いつのまにか…
おしりから、汁がぽたぽたと落ちてくるので、
「雑菌がつく恐れがあるから一先ず、ステロイド剤のようには副
作用が起こらない軟膏をつけてみよう」
と、先生から言われました。
「でも、これは漢方薬ではないから、とにかく薄く塗ってね」
と、言われていました。
初日は、夜中だけ、薄っすらと塗りました。
即効性がある薬ではないので、塗った日から落ち着くというものではありませんでしたが、息子の痒がる姿に耐えれなくなった私は薄っすら塗ると言う約束を守らず、日に日に塗る量を厚めに塗ってしまいました。
あくまでも、治すために塗るのではなく、爛れた部分から雑菌が入るのを防ぐ為につけてる薬を痒みをとめるためにつけていると思い込んでしまってたんです。
だから厚めに塗っても、痒みがとれるわけではない事に気づくまでには結構塗ってたかもわからないですね。
「私がしている事って、また息子の身体の中に薬をいれこんでい
るの?」
と、気づいてから後は、きちんと先生に言われた通りの薄さでしか薬を使わずある程度、汁が落ち着いたら言われた通りに塗るのをやめましたね。
日常生活
日常生活では、おしりから汁がでていたので学校に行く時には、パンツの中にハンドタオルを挟んで行かせていました。
でも、帰ってきた時には、おしりとハンドタオルがくっ付いたまま
剥がれないので、お風呂に入ってからゆっくりと剥がしていましたね。
トイレも便の時には、便座に汁がついておしりがヒリヒリするので、息子専用の便座カバーを自分が持ち歩いていましたね。
お風呂では、市販の石鹸は沁みるので私がオリーブオイルで
作った石鹸を使わせていました。
風呂の湯も、ぬるま湯は切れている部分や汁が出ている部分にはチリチリ・ヒリヒリするので、少し熱めの湯の中に入れていましたね。
息子は生まれてから小学生になるまで、肌はとても綺麗だったので市販の製品で使えない物はなかったのですが、この頃からは自然素材の石鹸に全て変えましたね。
とめようのない痒み
冬に近づくにつれ昼間の痒みが落ち着いてきたので、学校から帰った時は、掻き毟った後も無くなりかけてきました。
でも、夜中の掻き毟りだけは、無意識の中で掻いているので治まる事はなかったですね。
私もアトピーだったので分かるのですが、午前0時を過ぎた頃から次第に痒みが襲ってきて、掻いても、掻いても痒い所に手が届くことが無いから止めることも出来ずに掻き続けるんですよね。
これ以上掻いたら汁がでて、ひどくなる。掻いたらダメ。
掻かなかったら綺麗な肌になれる。
これらが、頭ではわかっていることなんですが、無意識の中で
いつか痒い所に手が届くと思いながら掻いてるんですよ。
ボリボリと自分で掻いてる音も聞こえているからやめようと、思い思い手は動き続けるんですよ。
だから、息子も早めに睡眠をとらして、涼しくして寝せるのですが、午前0時を過ぎた頃から毎日掻き始めるので、さすって気を紛らわすのですが、
息子に
「ママの手が何本もあったら一度に痒い所が掻いてもらえるの
になぁ」
と言われた時には、さすがに堪えましたね。
午前5時ぐらいにようやく落ち着いて眠りはじめるのです。。
今夜は、ぐっすり寝てるから起きないだろうと思っていても、時間がきたら掻き毟りだし、日が昇ってくる頃には自然と手が止まります。私もアトピーだったので、痒みが出る時間と痒みが止まる時間を経験してるんですが、自分でも何時も不思議でしたね。
深夜周りは寝てるから、
神経が痒いと言う事にしか集中しないのか?
明け方に近づくにつれ、
周りからの音(新聞配達の音)・鳥の鳴き声に気が散るから痒い
のを忘れるのか?
でも結局、掻く事に疲れきってしまってたのか?
「あの痒みは、どこへきえたの?」
って思えるほどスヤスヤ寝れるんですよね。
原因は私かも?
生まれた時には、全くアレルギーなどなかった息子が急に薬害アレルギーになるには、それなりの原因があったと思います。
幼稚園の頃には、その日にあった出来事をよく聞いていたのですが、1年生になったと同時に、私が外に働きにでたため、日曜日にしか休みがないので、たまの休みだからと自分の用事を優先していました。
夏休みも仕事に行っていたら、ある日。
息子の口から
「仕事にいったら嫌」
とか
「寂しい」
とか、そんな事を言って困らされた事はなかったんですが、
「いってらっしゃーい」
と、言いながらいつまでも車を追いかけてくるんです。
私もぎりぎりまでは、ゆっくり走るのですが途中からは当然追いつかなくなります。バックミラーをみたら、息子はその場で立ち止まったまま手を振り続けていました。
これには、こたえましたね。
今でも忘れられない光景で残っています。
3年生の終わりには外に働きに出ることを辞めて、家で仕事を
しているのですが、息子の口から
「ずっと寂しかったけど、我慢してた」
と、言われた時には、息子の痒みの原因を作ったのは私かもしれないと思いましたね。
もしかしたら、我慢してたものがある日突然、痒みとして現われたのかも知れない。
痒みになんて負けないぞ
現在息子は4年生になっています。
3年生の頃にでていた身体からの汁は落ち着いてきていますが、解毒が完全におさまっているわけではないので、身体からの
においも気になりますし、身体を洗い流すと、白く濁るんですよ。(解毒が止まると、濁りがなくなりにおいもなくなります)
だからまだ、痒みとの戦いは今も続いております。
一日も早くアレルギーが克服できるように日々親子で頑張っている途中です。